ニーチェの言葉。 時代を超えて響く言葉。心に響く言葉を。

うつ病

最近「ニーチェ言葉」という書籍を読みました。

どれも素晴らしい言葉ばかりなのですが、すごい量で全部を紹介しきれないので

ほんの少しだけ紹介したいと思います。

その前に、

ニーチェの経歴


1844年10月15日、プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセンに生まれる。
父はルター派の牧師で裕福な家庭環境に育つ。5歳のときに父が早世したが、音楽と国語の才能を認められて名門校に特待生として入学。
卒業後はボン大学へ進学して神学と古典文献学を学び始めるが、直ぐに信仰を放棄して神学の勉強も止めることになる。
1869年、ニーチェは博士号も教員資格も取得していなかったが、その類まれな優秀さによって、24歳でバーゼル大学から古典文献学の教授として招聘される。その際にプロイセン国籍を放棄して終生無国籍者として生きることとなる。
ニーチェはギリシア哲学やショーペンハウアーなどから強く影響を受け、鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。

 

 

ニーチェの言葉 ー喜ー

楽しんで学ぶ

例えば、外国語を学んでまだ少ししか話せない人は、すでに外国語につうじて流暢な人よりも、

外国語を話す機会をとてもうれしがるものだ。

こういう風に楽しみというのは、いつも半可通の人の手にある。

外国語に限らず、やり始めた趣味は、いつも楽しくてしかたがないものだ。

けれども、そうであるからこそ、人は学ぶ事ができる。

つまり、大人であっても、遊ぶ楽しさを通じて何かの達人になっていくのだ。

「人間的な、あまりに人間的な」

人を喜ばせると自分も喜べる。

誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。

どんなちいさな事柄でも人を喜ばせる事ができると、わたしたちの両手も心も喜びでいっぱいになる。

「曙光」

誰もが喜べる喜びを。

わたしたちの喜びは、他の人々の役に立っているのだろうか。

わたしたちの喜びが、他の人の悔しや悲しさをいっそう増したり、侮辱になったりしてないだろうか。

わたしたちは、本当に喜ぶべきことを喜んでいるんであろうか。

他人の不幸や災厄を喜んではないだろうか。復讐心や軽蔑心や差別の心を満足させる

喜びになってはいないだろうか。

 「力への意志」

 

朝起きたら考えること。

一日をよいスタートで始めたいと思うのなら、目覚めたときに、この一日のあいだに少なくとも

一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうかと思案することだ。

その喜びは、ささやかなものでもかまわない。

そうして、なんとかこの考えが実現するように努めて一日を送ることだ。

この習慣を多くの人が身につければ、自分だけが得をしたいという祈りより、

ずっと早く世の中を変えていくことだろう。

「人間的な、あまりに人間的な」

時代を超えて響く言葉。

上記以外でも、まだまだ素晴らしい言葉がたくさんあり、

「一日の終わりに反省しない。」 「疲れたらたっぷり眠れ。」などなど。

うつ病の症状の軽減につながる言葉もたくさんあります。

この言葉達で、勇気づけられることが多々あると思うので、

また今度、いくつか紹介できらいいなぁと思います。

時代を超える言葉はすごい。重みがあります。



コメント

タイトルとURLをコピーしました